2017年05月31日

ユニクロ

ユニクロが一般的に受け入れられてから随分時間が経った。最初は安価な服というくらいしかイメージがなかったかも知れないが、ファッション性、着心地の良さ、リサイクルの活動など企業努力が目に見えてわかる。
近江商人の家訓に『三方良し』とある。社会、相手、自分にとって全て良いというところを見つける。
先ずは知らない誰かのためになっているか考えるのが大切。それが満足度を生み社会の中で幸せを生み出す。
そうすれば自分も喜んでもらっていることがわかる。
目の前のことに忙殺される日が多いかも知れないけれどこれを忘れないことが大事。
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2017年05月29日

何もしない時間

インターネットの普及で色々なことがある意味時間通りに正確に行われるようになった。茶道で言うところの中級の点前を習っているような感覚を覚えます。ツールやデバイスに人が合わせるところがそう思わせます。
24時間決まった動きをしているとどうしてもゆとりが欲しくなる。成熟した社会のシステムは機能的で無駄がないがまたストレスを与えることも増えてきます。こういう時には何もしないゆとりが必要です。
何もしない時間は無駄な時間に見えてそうではないのです。
何もしないという選択は1つの行動になります。心は本来なかなか止まることを知らずたえず何かを求めて動き回ります。これを止めることはできませんが止める時間を持つことはできます。

他の誰かの情報や決めたことに安心はしますが自分で考え行動して責任を持つことの方が満足度は高いです。
自分が自分でいるためには自身で行動することです。それが自信を持つことだから。
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2017年05月21日

世界でお茶を

今週の土日は夏日になり早くも初夏の頃を思わせる暑さになりました。
南半球ではこれから冬のシーズンになりスキー客で賑わうそうです。
先日ニュージーランドでb&bをされている佐々木さんが教室に遊びにきてくれました。
ワナカというところでご家族でペンションと料理教室をされています。
食事の後に抹茶を点ててお客さんに出したところ大変好評だったそうで、
もう少し抹茶について詳しく知りたいということで来てくださいました。

茶道はもちろん実践しないとなかなか人に話すことは出来ませんが、抹茶という日本で発展した独自の飲み物を紹介していくことは日本を紹介することです。
バックグラウンドを勉強してわかりやすく説明することはとても良いことだと思いました。

来ていただいて本当に感謝です。

これからも茶道を世界中の方に紹介していきます。

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2017年05月12日

茶道についてB

桃山時代は今まで東アジア諸国中心に国交を行なっていた日本にとって欧州諸国との初めての直接交流の機会で、西洋の優れた技術と新しい宗教キリスト教も入ってきた。当時のヨーロッパ諸国の列強スペイン、ポルトガル、イタリアなどはカトリックの教えを広めると同時に他国を支配する活動も行なっていたのは周知の事実で、日本でも人は平等であるという思想のもと、為政者の堕落した政治によって困窮していた庶民たちに受け入れられ広まった。
織田信長も今までの権力者と同じく本願寺、比叡山などの宗教に手を焼いていた。既得権を守る者を切り崩していくのは困難だということを熟知していたのだろう。対抗のするためにキリスト教を積極的に認めた。

キリスト教は神の前では誰であろうと平等であると教える。平安末期に『南無阿弥陀仏』を唱えれば誰でも極楽へ行けると説いた親鸞上人の思想のように大衆から受け入れられた。

また日本に布教にきた宣教師たちは積極的に権力者へ近づき取り入ろうとした。
宣教師ジョアン ロドリゲスの『日本教会史』にも権力者への布教が大切と書いてある。
また、教会の中に茶の湯ができる部屋を作り綺麗にしておくようになどの記載もある。

旧勢力の徹底的排除新しい時代の始まりには茶の湯、異国文化が必要だったのだと思う。
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2017年05月11日

茶道についてA

流行はその時のファッションリーダーのような個人、環境から発信されその流れの中で確実なものとなっていく。茶道も鎌倉時代から時の権力者と共に発展してきた側面がある。栄西禅師が源実朝にお茶と共に献じた『喫茶養生記』はお茶が如何に身体に良いものかを説いている。飲み物として心身に効用があり、さらに付随する道具を所持する面白さに当時の富裕層は当然興味を持ったに違いない。
栄西の生きた鎌倉時代は新しい時代の始まりともいえる。支配階級の家臣筋の実力者たちが京都から離れた鎌倉に幕府を作り政治の実権を持った。そして新幕府設立に貢献した家臣たちに領土を与えた。その土地のために命をかけることを『一所懸命』というのは周知の通り。やがて土地を持った家臣たちは力を蓄え勝手に振る舞うようになってきた。また当時の朝廷とその後ろには比叡山延暦寺があり、奈良の興福寺があった。多くの荘園を寺領として持ち実質の権力者として政治の決定などにも大きな影響力を持っていた。そのため朝廷の宗教への対抗のため禅宗を輸入し鎌倉幕府の権威を高めようとした。その後武士政権の室町幕府も家臣に領土を与え、さらに興福寺の土地の権力争いの中で政治的混乱をきたし『応仁の乱』を引き起こした。
いつの時代も家臣は裕福になると下克上を起こす構図。
その後に尾張の織田信長は茶の湯に目をつけた。茶の湯御政道と称して茶の湯を文化的価値の高いものとして取り上げ、名品を所持者から集め家臣たちに恩賞として与えた。茶の湯を行なって良いかどうかは信長が決めた。
茶の湯が土地よりも高い価値を持つようになった。
名品を使い茶会を行ない家臣たちにも見せた。名品は美しく扱われないといけない。そこで点前作法が作られていく。

posted by torianchado at 15:54| Comment(0) | 日記