2018年06月29日

幸田神父さまのこと

Facebookはほぼ投稿を閲覧するだけになってしまいましたが、以前娘の学校で講演をしていただいた幸田神父さまという方の記事が出ていて志の高さに心揺さぶられました。
東京大司教区の補佐司教という大司教の補佐をする重要なポストについておられる忙しい方です。自分が講演をきいたのは東日本大地震の復興現場での話でした。新聞やテレビでは過去のことのように報道が少なくなって来ましたが現場は今も変わらず復興へ向けての活動が続いているという事実、支援が足りていないこと、現地で人知れず変わらず孤独を抱えながら生きている人、聞きているだけで何かできることはないかと今すぐ駆けつけたい気分になりました。
その神父さまが補佐司教の役職を辞退したいとバチカンのフランシスコ教皇に申請して受理されたとのニュースでした。理由は被災地での活動に従事するためです。地位を捨てることは簡単なことではありません。色々なところに行って講演を行い、名声を得て、出版をしてキリスト教の普及なは努めるという方法もあったかと思うのですがあえて清貧の道を選ばれた幸田神父さまの生き方に人間としての高潔を見ました。同じ時代にこういう方が生き様を見せてくれることで次の世代として少しでも汲み取って受け継ぎたいと思います。
posted by torianchado at 10:02| Comment(0) | 日記

2018年06月27日

千島いちごのこと

昨日稽古茶事で珍しい花が入っていました。『千島いちご』名前の由来は定かではないらしいが、伝え聞くところでは千島列島を含む北の大地に根付く花のようです。千島列島から引き上げて移動した人が株を持ちかえり植えたのが増えたそうです。真意は別として、彼の地を去ることになりその思い出にとふるさとを想い出す花を持ち帰り、やがて新しい土地での生活にも慣れ過去の記憶も薄れていく中で時折庭に目をやると故郷の花が咲いていて、この想いは薄れることはあっても消え去ることはないのです。
過去と今、そして未来を繋ぐのはモニュメントではなく人から人へ伝える想いだと思います。
お茶も茶会が終わればその空間は何もない畳の部屋になります。さっきまでそこに居た人と人との営みがあるからこそ続いていきたいものなのです。
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2018年06月26日

体験すること

6月10日の東京地区大会に参加した時家元の講演を聴く機会がありました。言葉をつなぐ時にその人の本音がチラリとみえることがありますが『自分の見たことしか話せない』との家元の言葉に等身大のすがたに静かに心が揺さぶらました。
インターネットを使えば情報は手に入ります。以前YouTubeで抹茶を点てる機械を開発している動画を観ました。とても面白かったのですがお茶の作法や茶会が機械に取って代わられることはないと思いました。
お茶を点てるのは誰かのためです。飲むのも誰かが点ててくれるからです。誰かとは人です。生まれながらに感情を持った不完全なまま完全な存在です。このことが欠けていたらお茶の文化は成立しないです。

互いに補いながら誰かのことを想いお茶を点て、心の交流をするのがお茶です。
人と人との接点が希薄になりがちな時代しかし多様性が必要とされる。桃山時代もキリスト教の伝来など全く異形のものが日本に入ってきました。今と少し似ている気がします。
先ずはお茶を点てて飲んでそれから始めよう。
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2018年06月21日

教育

二男の学校で一年生から英語の授業があると聞きました。本人は楽しいと言っているので良いのですが、自分の時を考えれば中学から英語教育があって高校まで六年間の学習でした。
高校三年生の時に友人が言っていた個人塾の先生の所へ行って大学受験のために英語をみてもらい英語の学習がとても好きになりました。先生は中国史が専門だったようですが英語もとても堪能でした。色々過去問題集をこなしましたが先生が辞書を引いたのをほとんど見たことがありませんでした。単語も必要があったから覚えたといつも言っていました。英語力を高めるということで今も苦労していますが、三年ほど一生懸命勉強して分かったことは話したい内容があるか、日本語でそれを明確にできるかということが大切だということです。
もちろん小学一年生にそんなものはないようですが、世界にはいろいろな人種の人がいるんだとわかれば英語教育も意味があると思います。しかし、経験上、まず自国の文化や風土をしっかり学んでからでも遅くないかと思います。三人の子供たちが将来自国の文化をしっかり伝えられるように何ができるか考えなくてはいけません。
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2018年06月19日

季節を伝える行事

置き薬というものがあり子供の頃知らない男性がやってきて祖母と話しながら小さな箱の中味を入れ替えたりしていたのを覚えています。この男性は毎年同じ時期に同じ出で立ちでやってきました。しかしもっと古い記憶をたどれば、最初の記憶は年配の風呂敷を背負った女性がやってきていました。子供心になぜこの人はいつもやってきてどこからきているのだろうと考えていました。祖母から富山の薬売りの人だと聞かされましたが富山がどれくらい遠いか知りませんでした。後年歴史の勉強をしているときに富山前田家藩の奨励した商法だということを知りました。また春休みになると「獅子舞」が決まった時期に来ていました。3人くらいの男性が家に来て家の前で一人の人が笛を吹いて2人の男性が獅子に扮して舞をします。その獅子に頭を噛んでもらうと頭がよくなるといわれました。しかし子供には獅子に噛んでもらうこと自体が恐ろしく家の中から出ないことがしばしばありました。
今は後継者が不足していて大変だということをテレビで見ましたが反面この伝統を残そうと若い方この世界に身を置くということもあるそうです。
自分のやっている茶道も伝統文化の中で比較的よく知られているものですが、次世代につなげる作業というのは、今の時期から始めないといけないと思います。
それは、「道、学、実」(精神修養、知識、実践)を体得してもらわないと次の世代に伝わらないからです。
インターネット、AIなどをつかっても茶道はできません。
それは、人と人との関係が必要で自らが行うことに重きを置いているからです。
昭和の高度成長期を牽引してきたPanasonicの創業者松下幸之助氏はお客様に自らお点前をしてもてなしてから商談に入ったそうです。
温故知新の心をもって稽古に臨む気持ちを持ち続けたいものです。

posted by torianchado at 09:17| Comment(0) | 日記