2022年09月12日

自分を労わる

何か目標に向かって歩んでいく、大きなゴールを見据えその途中にいくつかマイルストーンをもうけて確実に一歩を踏み出す。経験を積んで目標も大きくなればその分達成にも時間と労力が必要になる。心身共に負担が大きくなる。なかなか進まない時、もっとできるはずだと思うし何か改善できるのではとまた考えて歩みを止めない。しかし人生補強を怠らないことが大切です。考えてみれば頭で考えたことを実際に行なってくれる身体の機能に対して感謝があるだろうかとふと思います。行きたいところへ行ってくれる足があって、欲しいものを取る時に手が動いてくれる。食べたい時に消化してくれる内臓がある。当たり前すぎて気がつないが、実にありがたいことです。
最近は足が疲れてくるの足を労わり『ありがとう、わがままに付き合ってくれて』と感謝することにしています。
肩が凝れば緊張させてすまないと心の中で呟きます。
後何十年の付き合いかわかりませんが、いたわり合いながら付き合っていく方が気持ちも楽かなと
考えています。
posted by torianchado at 23:58| Comment(0) | 日記

2022年09月01日

茶事に臨む

コロナと共に生活が続いて3年は経ちました。
飲み回し、大寄茶会、大きな会場での茶会、インバウンド向けのイベント等行われず
茶事を行なう人が増えてきたように思います。お茶の稽古は茶事の食事を省いたお茶を点てる部分を習うこと
なのですが、やはり茶会や茶事も参加しないとお茶がもてなしと言われる理由が分かりにくいと思います。
茶事は道具を決めて出して片付けるところまで1ヶ月以上に渡ります。茶事を催して終わりではないのでなかなか忍耐を要します。また、季節の取り合わせ、お茶、お菓子、料理などやることは多岐にわたります。
いつでもというわけにはいかないのですができる限り茶事を行いたいものです。
また去年から始めたwabunkaの茶事では2時間くらいで収まるように構成を考えています。
これは従来の茶事とは違うものですが、初心の方やお茶は習ってるけど、茶事は未経験という方も多くかられるので、
習いの中にある『続き薄茶』の点前をせずに食事の後、少し炭を直してから
濃茶の後、薄茶を差し上げています。以前雑誌淡交で読んだスムットニー裕美さんの桃山時代に宣教師たちが体験した茶事と偶然同じ手順でした。
私は普段から米は羽釜で、出汁はできるだけ、カツオ、昆布でとるようにしています。そうすると茶事だから特別に
米を炊いたり、出汁を取ったりするという感覚は自然なくなって日常の延長になります。
面倒なことは沢山あるかもしれませんが、面倒がっていたら大切な気づきを逃してしまうような気がして勿体ないと思うのです。お茶が教えてくれることは書き尽くせませんが、不確かで見えない明日をむかえるのにいつも、やることはわかっているからやるだけだと、自分を後押ししてくれるのが長い時間お茶を続けてきて心に根付かせてくれたものです。
簡単に手に入らない時間のかかるものだからこそ心の中で育てていく価値があるのです。
視覚にうったえるコンテンツが広がる中、やることでしか手に入らないコトに重きを置いた生き方がひつようではないでしょうか。
posted by torianchado at 18:42| Comment(0) | 日記