2016年06月25日

茶席の中の禅の心C

昨日は茶席の中の禅の心の講義へ出かけました。
茶事のルーツに関わる話や先生の修行時代の話がとても面白い内容でした。

お茶事の源流。禅宗寺院での清規の中で朝の梅湯茶礼というものがあります。梅干しの白湯を飲むことを指しますが、茶事の待合で出す白湯はこの湯を飲むことに由来するというもの。これはのどの渇きを潤すこと以外に心を整える意味があります。
その後客は露地に出て亭主の迎え付けを待ちます。露地の『露』という字は『あらわ』という意味で本来の自分に戻る場所すなわち日常を離れて素直な心に帰る。これが露地の役割です。茶事に招かれると日常の肩書きや名誉などをすべて外して臨まなければなりません。先生もおっしゃっておられましたが、人は他人と比較して色々思うから悩みが生じやすくなってきます。他人を自分の判断基準とせず自分で考えて決断して実行するからこそ自信が持てるのです。
もう1つ言葉について。『精進』という言葉がありますが本来の意味は駄目になりかけているものを生き返らせることです。
先生が禅寺修行時代にバナナの天ぷらを作るためにバナナを買ってきたら先輩の修行僧からこれは傷んだバナナを食べられるようにするために揚げるのだと教えてもらったそうです。
人間でも一度挫折や失敗をしても心機一転して再び立ち上がることを指します。
東南アジアの仏教国では熱帯気候で肉が腐りやすく野菜を食べるようになったことから野菜中心になったそうです。料理が精進というよりも食べ方が精進と考える方がピッタリくるようです。

お茶には生き方のヒントが沢山あります。
posted by torianchado at 10:15| Comment(0) | 日記
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