どなたでも、おそらくこの言葉の最初の文は知っているのではないだろうか?中国の儒者『朱熹』のこの漢詩。月日の流れるのは早く気がつけばこんなに時間が経ってしまっている。誰でもこのような事を感じた経験はあると思う。この限られた時間の中でより良い人生を歩み続けるために人は学び、成長している。何もしないのも一つの行動、ただ時間は止まらない。万物において春は生命の始まりであり、秋は生命の実りである。秋の実りをより良いものにするために夏の暑い時期に大いに寸分を惜しんで成長する。身体は栄養を摂れば大きくなるが、心の栄養は自分のワクワクする嬉しくなるような事を沢山する事だと思う。昨日青山の根津美術館へ初めて行った。久々に出かけたのでワクワクした。利休の造らせた長次郎の『無一物』の赤楽茶碗や『松屋肩衝』『白玉文琳』など名品の数々をしっかり観てきた。時間のある限りいつもワクワクしながらこころを磨いて美しい秋の照り葉を目指していきたい。
少年易老學難成
一寸光陰不可輕
未覺池塘春草夢
階前梧葉已秋聲
少年老い易く学成り難し
一寸の光陰軽んずべからず
未だ覚めず池塘春草(ちとうしゅんそう)の夢
階前の梧葉(ごよう)已(すで)に秋声
2012年06月23日
朱熹『偶成』
posted by torianchado at 13:23| Comment(1)
| 文学雑事
ご指摘ありがとうございます。私もウェキペディアを確認致しましたところご指摘の内容を読み驚いております。私はPHP文庫から出ている「中国古典百言百話9、漢詩名句集、奥平卓著」の本の中で見かけたので記事として書かせていただきました。ウェキペディアの内容は「偶成=朱熹」が可能性が低いとの推測でしたので今後の研究で明らかにされることを期待します。誤解を招くといけないので「朱熹」という部分を記事の中で訂正させていただきます。ブログを見ていただいてありがとうございました。