
連休の中日雨が降っていたが家族で「東あずま」の親戚の叔父宅へ挨拶へ行ったのち吉原へ行ってみることに

吉原といえば花街だが江戸時代はとファッションの発信地でもあった。町人文化の中心で江戸時代の出版業者「蔦屋重三郎」は「吉原細見」という吉原の情報誌を販売して一躍有名になった。
今の場所に吉原ができたのは明暦の大火以降のこと。もともとは今の日本橋人形町あたりにあったらしい。
吉原大門の交差点へ来てみたら「見返り柳」を発見した。



京都島原遊郭の門口にあった柳を模したもので遊び帰りの客がこの柳のあたりで後ろ髪を引かれる思いで遊郭のほうを振り返ったことから名がついた。
この近くでなかなか風情のある建物を発見





明治創業の天ぷら屋「伊勢屋」と桜鍋の「中江」特に「伊勢屋」は雨だというのに長蛇の列ができていた

「中江」には馬肉の店らしい看板も見られた

その後車で移動しながら吉原神社、吉原弁財天と回った。


吉原神社は吉原廓の四隅にあった稲荷社と地元にもともとあった稲荷社の五つを合祀し、さらに吉原弁財天が後で合祀され今の吉原神社になった

吉原弁財天はこちらは新吉原に廓があった時代池に弁財天が祀られていた。関東大震災のとき、池に逃げた人が溺死してしまいその供養のため大きな観音像が建立された。


祠は東京藝術大学のサポートによって今年新しくなったとのこと。朱色と紫色がこの地域らしさをあらわしている。
posted by torianchado at 18:20|
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