都内散策と言っても行ったわけではないのだが雄山閣という出版社から出ている『御家人の私生活』という本に八丁堀七不思議という項があって面白いで紹介したい。またいずれ訪ねてみたいと思う。大体七不思議というのは多くは妖怪変化の部類のものが多いが『八丁堀七不思議』は妖怪変化は一つもなく全てはここでしか見られない風俗、習慣の珍しさであった。
@『奥様あって殿様なし』江戸時代の武士夫婦の呼び方は階級などで決まっていた。お目見え以上といって年始の江戸城登城の挨拶の際、将軍と対面できる者(立ったまま挨拶だけのかんたんなものだが)は夫は『殿様』妻は『奥様』と呼んだ。そしてお目見え以下といって将軍にお目見え出来ない者は夫は『旦那様』妻は『ご新造』と呼んだ。町与力は身分がお目見え以下であるから『旦那様、ご新造さま』であるはずだが実際は『旦那様、奥様』であった。
A『女湯の刀掛け』江戸の町銭湯には武士のくるところも珍しくなかった。ところが刀を帯刀しない女湯に刀掛けがあった。理由は町与力が早朝お風呂に入りたい時には空いている女湯に入浴していたからだ。男湯は風呂好きの江戸の男たちで朝からごった返していたが女湯は朝から入るものもなく空いていたからだそうだ。
B『金で首が継げる』地獄の沙汰も金次第で罪人を取り扱う与力、同心へ渡賄賂によって罪一等が減ずることは今も昔も変わらない。
C『地獄の中の極楽橋』犯人を取り調べる八丁堀の旦那衆は見ようによっては地獄の鬼にも見えたかもしれない。その旦那衆が住む八丁堀に『極楽橋』という名前の橋があった。
D『貧乏小路に提灯かけ橋』八丁堀の組屋敷は拝領地なので町名などはないが里俗の字はあった。『ちょうちんかけ横町』『どぶ棚』『ゆうれい横町』などや『貧乏小路』などの変わった名前もあった。
E『寺あって墓なし』もともと寺があったが他へ寺を移し、その跡を与力、同心の組屋敷にしたため町名が『八丁堀寺町』となっていた。もともとあった寺がなくなって名前だけが残った。
F『儒者、医者、犬の糞』与力の拝領組屋敷でもその土地はかなり広かったようだ。身分が高いものだと300坪くらい低い者でも100坪くらいあった。当然こんなに広い土地は持て余してしまうので貸地にしていた。そこに多く住んでいたのが『儒者、医者』であった。武家の土地に武士以外のものが住んでいた理由はこれである。
これを読んでいると八丁堀へも近々足を運んで見たくなった。
2012年11月21日
八丁堀七不思議
posted by torianchado at 15:27| Comment(0)
| 都内散策
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