2013年09月24日

城めぐり(川越城)

今月も後わずかになってきました。連休が多い9月、随分涼しくなってきたので(^^)あちらこちらに出かけてきました。今回は東京から比較的近い埼玉県川越へ。その前に川越といえばさつまいもが名産なので朝早く芋掘りをしてから川越市街へと出かけました。川越のさつまいもは青木昆陽がサツマイモの栽培に成功したあと川越でたくさん栽培されたのが始まり。『栗よりうまい13里』といわれた川越のさつまいもあらはた園さんに着いて早速芋掘り開始。親切な農場主さんの案内のもと子供たちと共に芋掘りを堪能、さらに栗の木から子供たちの為に栗を落としてくださいました。004.JPG005.JPG親切なあらはた農園を後にしていざ川越市街へ。こちらは室町時代の武将『太田英勝(道灌)』親子によって築かれた城です(江戸城と一緒ですね)ここに喜多院という天台宗のお寺があります。徳川家康のブレーンであり、家康の諡号を決める時に『大権現』を押した天海大僧正が住職だったお寺です。江戸時代の中ごろに火災に遭いお寺は焼けてしましますが、祖父家康を尊敬してやまない3代将軍家光によって再建されました。そしてこの時江戸城内にあった建物の一部を移築しこれが幸いして明治維新以前の江戸城の建築物として現在も残っているということです。

小江戸といわれる川越の町並みは明治以降に作られたものがほとんどということです。時代劇やドラマの撮影にもたびたび使われている建造物が多くのこっています。この街並みが出来たきっかけは明治26年に街の3分の1を焼いた川越大火に起因するとのこと。約12時間かけて街を飲み込んだ大火の中一軒だけ焼けなかった住宅が今大澤家住宅として残っている家屋で、こちらの住宅のみ蔵つくりといわれる漆喰塗の重厚なつくりの家だったそうです。それを聞いた周りの商人たちも明治になって侍に遠慮しなくてもよくなっていたので競って大澤家住宅のつくりの真似をして今の町並みが創られたようです。011.JPG014.JPG

今の町並みは見通しの良い街並みですがこの町割り(都市計画)を行った松平伊豆守信綱が敵から城を守るために五の字割という町割りにして行き止まりや鍵型に曲がった道路を作り敵から攻められにくく工夫したということ。また今のメインストリートも昔はカーブしていて両端から互いの姿が確認できなかった。これは弓鉄砲を打たれてもまっすぐに命中しない工夫がなされていたようです。

そして川越城跡に到着今はお城の城郭はなく一部傾斜が60度もあるお堀の跡が一部観れるのと城ではなく政務を行ったりした本殿の建物が残っています。これも廃城令の際に他人の手に渡りその後市に戻されたようです。018.PNG

気候も良く親切な街の人たちに出会いいい連休が過ごせました。
posted by torianchado at 16:18| Comment(0) | 日記
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