2013年10月08日

信じること守ること

今日は久しぶりに幼稚園の勉強会に行きました。おもに宗教の(カトリック)話が中心ですが、話を通して思うのは今恐れるものがない状態の人が多く存在していることに不安を感じました。お茶で「和敬清寂」の実践を稽古を通じて学びますが、まずその精神を感じ取ることのできる土台が必要だと思います。特に流れの速い今の時代、情報がたくさんありその中で何が自分に必要な情報かを判断するには自分の目標をしっかり持っていないと困難だと思います。ちょうど砂鉄の中に磁石を入れると鉄は引っ付きますが砂は引っ付きません。情報も同じで目標という磁石がないと粘着テープのように何でもかんでも引っ付けてしまいかえって判断に迷うことになると思います。生きていく中でだれしもより良い自分になるために生きる必要があるでしょうしそのためには目標は欠かせないものです。誰もが何かを信じて生きています。しかしその信じるものが普遍的でないと常に浮き沈みする「それ」に翻弄されて生きていかないといけないので、幸せを掴むのは難しいと思います。お茶を始めた人は他人のためにお茶を点てそこから人のために尽くすことが人生の最大の喜びであることを学びます。どれだけたくさんの人に感動を与えたかで自分のステージが上がります。そのためにはまず一つのことを続けることです。あれもこれもと手を出していては何も身につかず、かえって粘着テープのようになってしまいます。お茶で何かを求めようとする人はまずお茶にハマってみることです。利休道歌にも「習いつつ みてこそ習え習わずに 良し悪し言うはおろかなりけり」とあります。
お茶に人生の道を求めるならばまずは疑わずにしかし疑問を持って絶えずなぜだろうと考えることが必要です。頭でっかちにならないように十分にやりつくすことが一番の近道であり、それを信じることから自信がついてくるのです。自分もお茶を信じてここまでやってきてよかったと心から思います。そしてそれが誰でも実践可能な自信のつけ方だということがわかりました。まずは始めること、信じることからです。
posted by torianchado at 23:53| Comment(0) | 日記
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