2018年07月04日

旅路を読み終えて

最近仕事でスマートフォンを極力使わないように努力しています。目が疲れ、急に眠気が襲いこのままではいけないと思い始めたからです。そうすると電車に乗るときに本を読む機会が増えてきました。びっくりするから赤目も疲れず、スマートフォンに時間を取られていたことがもったいないと思うようになりました。
今回選んだ本は『旅路』藤原ていさんの書かれたものです。太平洋戦争の終戦時に満州から平壌38度線を3人の子供を守りながら日本に戻って来て生き抜いた話です。
本の中で藤原さんが自身の心の動きを書いておられるのですが、彼女は終始希望を持って精一杯生き抜いた人でした。何度もあきらめず、満身創痍になりながら家族を想い、時には人に酷い目に遭わされ、思わぬところで人の惻隠の情に触れ生きていかねばと強靭な意志で見事に生きた方です。内村鑑三さんの『後世への最大の遺物』という本の中に思想、どのように生きて来たかを残すことが最大の遺物だという意味合いのことが書いてあるのを思い出しますが、本を読む時間を作ってからほど短時間で大切なことを教えてもらえたことはとても有り難いことでした。新しい情報で現代における理想的な姿を知ることは必要ですが故人の遺した遺徳から学べることはとても多く今の時代を生き抜くヒントとなります。お茶も400年以上生き残って来た素晴らしい日本文化です。
学べることは数多くあり、毎日の生活に活力を与えてくれます。
posted by torianchado at 18:19| Comment(0) | 日記

2018年06月29日

幸田神父さまのこと

Facebookはほぼ投稿を閲覧するだけになってしまいましたが、以前娘の学校で講演をしていただいた幸田神父さまという方の記事が出ていて志の高さに心揺さぶられました。
東京大司教区の補佐司教という大司教の補佐をする重要なポストについておられる忙しい方です。自分が講演をきいたのは東日本大地震の復興現場での話でした。新聞やテレビでは過去のことのように報道が少なくなって来ましたが現場は今も変わらず復興へ向けての活動が続いているという事実、支援が足りていないこと、現地で人知れず変わらず孤独を抱えながら生きている人、聞きているだけで何かできることはないかと今すぐ駆けつけたい気分になりました。
その神父さまが補佐司教の役職を辞退したいとバチカンのフランシスコ教皇に申請して受理されたとのニュースでした。理由は被災地での活動に従事するためです。地位を捨てることは簡単なことではありません。色々なところに行って講演を行い、名声を得て、出版をしてキリスト教の普及なは努めるという方法もあったかと思うのですがあえて清貧の道を選ばれた幸田神父さまの生き方に人間としての高潔を見ました。同じ時代にこういう方が生き様を見せてくれることで次の世代として少しでも汲み取って受け継ぎたいと思います。
posted by torianchado at 10:02| Comment(0) | 日記

2018年06月27日

千島いちごのこと

昨日稽古茶事で珍しい花が入っていました。『千島いちご』名前の由来は定かではないらしいが、伝え聞くところでは千島列島を含む北の大地に根付く花のようです。千島列島から引き上げて移動した人が株を持ちかえり植えたのが増えたそうです。真意は別として、彼の地を去ることになりその思い出にとふるさとを想い出す花を持ち帰り、やがて新しい土地での生活にも慣れ過去の記憶も薄れていく中で時折庭に目をやると故郷の花が咲いていて、この想いは薄れることはあっても消え去ることはないのです。
過去と今、そして未来を繋ぐのはモニュメントではなく人から人へ伝える想いだと思います。
お茶も茶会が終わればその空間は何もない畳の部屋になります。さっきまでそこに居た人と人との営みがあるからこそ続いていきたいものなのです。
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2018年06月26日

体験すること

6月10日の東京地区大会に参加した時家元の講演を聴く機会がありました。言葉をつなぐ時にその人の本音がチラリとみえることがありますが『自分の見たことしか話せない』との家元の言葉に等身大のすがたに静かに心が揺さぶらました。
インターネットを使えば情報は手に入ります。以前YouTubeで抹茶を点てる機械を開発している動画を観ました。とても面白かったのですがお茶の作法や茶会が機械に取って代わられることはないと思いました。
お茶を点てるのは誰かのためです。飲むのも誰かが点ててくれるからです。誰かとは人です。生まれながらに感情を持った不完全なまま完全な存在です。このことが欠けていたらお茶の文化は成立しないです。

互いに補いながら誰かのことを想いお茶を点て、心の交流をするのがお茶です。
人と人との接点が希薄になりがちな時代しかし多様性が必要とされる。桃山時代もキリスト教の伝来など全く異形のものが日本に入ってきました。今と少し似ている気がします。
先ずはお茶を点てて飲んでそれから始めよう。
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2018年06月21日

教育

二男の学校で一年生から英語の授業があると聞きました。本人は楽しいと言っているので良いのですが、自分の時を考えれば中学から英語教育があって高校まで六年間の学習でした。
高校三年生の時に友人が言っていた個人塾の先生の所へ行って大学受験のために英語をみてもらい英語の学習がとても好きになりました。先生は中国史が専門だったようですが英語もとても堪能でした。色々過去問題集をこなしましたが先生が辞書を引いたのをほとんど見たことがありませんでした。単語も必要があったから覚えたといつも言っていました。英語力を高めるということで今も苦労していますが、三年ほど一生懸命勉強して分かったことは話したい内容があるか、日本語でそれを明確にできるかということが大切だということです。
もちろん小学一年生にそんなものはないようですが、世界にはいろいろな人種の人がいるんだとわかれば英語教育も意味があると思います。しかし、経験上、まず自国の文化や風土をしっかり学んでからでも遅くないかと思います。三人の子供たちが将来自国の文化をしっかり伝えられるように何ができるか考えなくてはいけません。
posted by torianchado at 07:11| Comment(0) | 日記