2012年07月12日

廬山の瀑布をのぞむ

7月に入り随分気候も夏らしくなってきた晴れこの時期は決まって瀧の画の掛け軸をかけることにしている。滝の白い水が勢いよく落ちる様子を『瀑布』という。中国の有名な『李白』という詩人がいる。唐の玄宗皇帝の時代に生き日本から遣唐使で入唐し同じく玄宗皇帝に仕えていた『阿倍仲麻呂』とも交流があったことは有名である。李白の有名な漢詩で『瀑布』うたったのが、この漢詩『廬山の瀑布をのぞむ』

  望廬山瀑布        李白
日照香爐生紫烟   日は香炉を照らして 紫烟生ず
遙看瀑布挂長川   遥かに看る 瀑布の長川を挂くるを
飛流直下三千尺   飛流 直下 三千尺
疑是銀河落九天   疑うらくは是 銀河の九天より落るつかと
[口語訳]
   日の光は香炉峰を照らして、紫の煙が立ち上っている
   遥か遠く 滝が長い川を掛けたように流れ落ちているのが見える。
   飛び下る流れは まっすぐに三千尺
   銀河の水が空高くから落ちてきているのではないかと思ってしまう。

表現は宇宙レベル夜スケールの大きさに心が解放される思いに
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2012年03月09日

陶器の歴史@

焼物(陶器)といえば、社会の教科書で『縄文土器』『弥生土器』と習った記憶のある方は多いと思う。日本の陶器は全国区多岐に及び、各地方の名産工芸品になっている。土、釉薬、焼成方法、絵付けによって様々変化し人の心を飽きさせない魅力的な工芸品。ジャンル分けも膨大で素人ではなかなか紹介が難しいが少ない知識の中で書いてみたいと思う。

まず縄文式土器とは日本最古のやきもので紀元前七千年前には焼かれていた。縄文土器とは縄目の模様がついた土器で大森貝塚を発見したエドワードモース博士が命名した呼び名"cord marked pottery"が、日本語の『縄文式土器』となった目
北海道から九州まで、日本全土で作られていた。

そして次に国内で焼かれた弥生式土器は東京本郷弥生町で発見されたので、この名前がついた。弥生式土器は紀元前三百年ころに九州で生まれ短期間で中部地方まで広がった。三世紀には終わりをつげる焼物だが、日常用器の土師器として残る。埴輪は土師器にあたる。
軟質で壊れやすい土師器に代わって登場するのは四世紀から七世紀にかけて焼かれた須恵器。縄文、弥生、土師器との大きな違い
は丘陵に窯を築き、ロクロで成形しているところ。須恵器は朝鮮半島の影響をうけ大阪府堺市を中心に生産され、各地に広がっ
た。
ちなみに中国では八千年前に釜が築かれ、四千五百年前にはロクロで成形された陶器が存在したがく〜(落胆した顔)さすが歴史の深い国である。


次は七世紀ごろには釉薬をかけた陶器が登場する。施釉陶器の始まりは鉛と銅を合わせた鉛釉で緑色に発色するもの。八世紀には中国から移入された中国陶磁に倣い、唐三彩の技法を踏襲し、奈良三彩が生まれる。正倉院三彩とも呼ばれる。こちらは奈良時代の終わりまで続く。

(村山武 窯別 日本のやきもの 淡交社)参照

このあとようやく日本的な焼物が生まれる。植物の燃やした灰を釉薬としてつくられた『灰釉陶』がそれである。
続きはまた手(パー)
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2012年03月08日

江戸、京都、大坂

今もそうだが、人は住む環境によって気質が変わってくる。大坂には住んだことがないが親しい友人はいる。江戸歴史文化検定の勉強をしている時に面白い本があった。一部紹介されていたので抜粋してみる。


京の女性『大丸呉服店であつらえた着物を二度も染め直した、帯は西陣織で二年がかりであつらえた』と得意気。

大坂の男性(最近食べたものを並べて)『年中食べ物のことで忙しい。食べ物は酸いも甘いも知り尽くしている』と満足気。

江戸っ子は『酒は正宗に限る』と称え、『知人が酒を断ったと言いながら焼酎など他の酒精を飲んでいる』と話している。

柳下亭種員(りゅうかていたねかず)『京の着だおれ 大坂の喰いだおれ、江戸の呑みだおれ』より

その他多くの文人や学者、有名役者が評を残している。

大坂について
浮世草子作家井原西鶴(大坂人)『大坂人はぱっとし世を送る』
狂歌師、戯作者大田南畝(江戸っ子)『人の心が陽気である』
儒学者広瀬旭荘(大坂人)『貪欲で富を尊ぶ』

京都について
歌舞伎役者姉川新四郎(大坂人)『自分の姿を飾り、表を美しくする風議』
狂歌師、戯作者大田南畝(江戸っ子)『人の心が陰気である』
儒学者広瀬旭荘(大坂人)『京の人は誇り高い』

江戸について
歌舞伎役者姉川新四郎(大坂人)『人と並んで歩くときでも下がって歩くことを嫌う』
儒学者広瀬旭荘(大坂人)『血気盛んで冠位爵位を尊ぶ』

小学館(江戸諸国萬案内より)

今でも京都の人は自分は京都人だと言う人が多い気がする。天皇が幕末まで住んでいたという誇りが京都の人には感じられる。
大坂の人は江戸時代武士がほとんど住んでいなかったため、自由で庶民的な感じがする。
東京生まれでなくても住んでいると、確かに人より早く電車に乗る、人より早く歩くなどの習慣が身についてくるexclamation&questionような
とにかく、今も昔も人が多いがく〜(落胆した顔)
安政五年(1858年)の調査によると江戸の人口は100万人しかも約半分が武士目
ちなみに京都と大坂の人口は30〜40万人武士は2000人以下。庶民にとって特権階級の武士が街にいるかいないかでは気持ちもずいぶん違うのだろう。
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2012年01月06日

大徳寺納豆

去年の炉の時期に地元の和菓子屋さん『ちもと』で大徳寺納豆が上にのった蕎麦上用を頼んだ。大徳寺納豆は甘い和菓子に程よく塩味がきいてよく合う。大徳寺門前の『一久』という精進料理の店で買い求めたことはあるが、由来が気になり今回調べてみた。

大徳寺納豆由来

夏季に蒸し、または煮た大豆に麹菌を作用させ、塩味をつけて日干しした黒色の塩辛納豆。本来は禅僧が日常の食事に用いた。主として大徳寺山内、門前でつくった。禅宗とともに中国から伝わったため唐納豆とも呼ぶ。一休宗純(とんちの一休さん)が門前の一文字屋久兵衛に製法を授けたとも伝え、一休納豆の名もある。現在も大徳寺山内の寺院や数軒の精進料理屋がつくっており、山内の真珠庵(一休さんが住んでいたお寺)に『唐納豆』と彫った木印が残る。
なるほとやはり一休さんが関係してましたかわーい(嬉しい顔)ちなみに一文字屋久兵衛さんの子孫が門前の精進料理屋『一久』さんだったのか。納得です。
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2011年12月06日

十牛図考

先日の稽古の勉強会は「十牛図」

これは鎌倉時代中国から日本に入ってきたもので禅宗の教育につかわれていたもの。
牛と人間が登場し「牛」は私たちの本来の面目、本当の自分をあらわし、「人」は
それを探し求める立場をあらわす。
人間が本来の自分を取り戻す(求める)過程を、人が牛を追及する形式に具現化したもの。

では「十牛図」の10の過程とは

1「尋牛」(じんぎゅう)2「見跡」(けんせき)3「見牛」(けんぎゅう)
4「得牛」(とくぎゅう)5「牧牛」(ぼくぎゅう)6「騎牛帰家」(きぎゅうきか)
7「忘牛存人」(ぼうぎゅうぞんじん)8「人牛倶忘}(じんぎゅうぐぼう)
9「返本還源」(へんぽんかんげん)10「入廛垂手」(にってんすいしゅ)

順番に解説

1「尋牛」(じんぎゅう)…牛を尋ねる 目標を立てて学んでみる。そう思った瞬間から悟りの心
 が芽生えている。その心を起こすことが大切。深い山に入り途方に暮れる。

2「見跡」(けんせき)…足跡を見つける 学ぶことに徹する。求める心があっても基礎ができてい なければどうすることもできない。牛が本当にいるのか不安な状態。

3「見牛」(けんぎゅう)…進むべき方向が見える。師匠の教えを道しるべに進んだおかげでその一 部分を垣間見た。牛の後ろ姿は見つけたが全体はみえない。

4「得牛」(とくぎゅう)…牛を手に入れる。さらに工夫を重ねる。やっと手に入れたが長い間野に
放たれていたため非常に気が荒くて意のままにならない。やっと一通りの手続きを習得して型が出 来ただけであり完成したものとは言えない。たびたび思い起こし稽古に励む。

5「牧牛」(ぼくぎゅう)…牛を飼い馴らす。悟りの後の修行。修行を積んだ結果悟りを得た。牛も 世話のかいあって少しづつ慣れてきた。しかしこれを継続していくことは難しい。ようやく得た茶 の心が自分の体についても油断は禁物。さらに修行を重ねること。

6「騎牛帰家」(きぎゅうきか)…牛に騎って家に帰る。己と牛が一つになった。やっと飼いならし た牛に騎って本来の心の故郷へかえる。修行はまだ続く。最初の目標が達成できたというだけ。

7「忘牛存人」(ぼうぎゅうぞんじん)…牛を忘れてひとのみ存する。分別を捨て心を磨いてすす  む。初めて何かをしたとき窮屈に思ったが、今は慣れて意識しなくなった。点前や道具の形や扱い にとらわれていたことは元をただせば、自分自身を磨くためであったのだと気づく。その心をさら にすすめて稽古に精進する誓いを立てることとうけとめたい。

8「人牛倶忘」(じんぎゅうぐぼう)人も牛もともに忘れる。とうとう牛とか自己とかの区別がなく なる。円相のこころ。おおらかでかけることも無く余ることのない仏の心。その道に入ろうとした
 純粋な心が修行の頂点に達したのと同じ。

9「返本還源」(へんぽんかんげん)…本に返り、源に帰る。悟っても悟る以前の状態となんら変 わらないありのままの状態。本当に悟りを得た人は自分だけのものにするのではなく、導く心を
 もち社会の人々と分かち合い助け合う理想の人生を歩める。稽古とは昔の教え、昔の人を慕い学 ぶ。人生の勉強に終点はありません。

10「入廛垂手」(にゅうてんすいしゅ)…廛に入り手を垂れる。廛は街のこと。社会に溶け合って
 慈悲の心、愛の心をもって人々に影響を与える。茶の修行を重ね自由な心の働きを得て多くの人 と分かち合うことが最終目標になります。
posted by torianchado at 23:22| Comment(0) | 社中雑学勉強会