今年も残り後わずか毎年クリスマス近くになると稽古も終わり掃除をし始めます。時々掃除をしている場所と全く掃除をしていない場所では汚れ具合が違います。たまにでも掃除していればそれほど苦労しませんが1年間そのままにしていると相当な汚れです。いつも思い出す言葉はこの『時々勤払拭』です。これは神秀和尚の言った言葉で六祖慧能の修行時代に出てくる有名な話の中にあります。慧能禅師は更に『本来無一物』と理解の深いことをおっしゃいますがこの境地はなかなか難しいものです。
払拭するのは汚れだけでありません。やはり奢る気持ちや調子に乗るはやる気持ちも払拭しないといけません。
悪いことをした時は誰もが反省をする気持ちになりますが絶好調の時には更に気持ちを引きしてなくてはいけないと思います。良いことがあった時もここからまた新たなスタートが始まるのだとか調子の良い時も感謝の気持ちを忘れずありがたいことだと思っていないといけないです。
いつも自分を清めておくことで心の平和が保てるのです。
2016年12月26日
時々勤払拭
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2014年07月18日
喫茶去(きっさこ)
先日東京茶道会館へ国際茶道文化協会の行事に参加しました。最後に国際茶道の先駆者である森宗明先生のお茶席に入りました。床の間に『喫茶去』の掛軸がかかっていました。まぁお茶でも一服飲んでくつろぎなさいという意味ですがなかなか難しい教えです。仕事が煮つまったとき大抵の場合夢中になって周りの事がみえません。そんなときは自分を客観的にみる事が大切です。心まで夢中に持って行かれると忙しくなります。忙しいは『心を亡くす』と書きます。夢中になりつつも夢中になってる自分を客観的に見れるのが良いと思います。そのためには喫茶去が表すように『まぁお茶でも飲みなさい、落ち着いて』の気持ちを持つと一瞬クールダウン出来ます。この言葉が自分に染み込んできた時、お茶が実践に活かされてきたという事です。心のクセを治すのは時間がかかりますがかならずより良い人生が歩めるものだと信じております。
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2013年11月27日
吾唯足知(われただたるをしる)
吾唯足知(われただたるをしる)は京都の龍安寺にあるつくばいに刻まれていることで有名です。水のたまる見込みの部分が口の形をしていて周りに「口」の部分を除いた字が掘られています。
おそらく誰もがあわただしい毎日を過ごしていると思います。私も「いつも時間が足りない」と心の中で思いながら過ぎていく時間の中で生活しています。しかし自転車で走ってい居るときに何気なく空を見上げた時、夕焼けがきれいだったり空に渡り鳥の姿を見つけたりすると「足りないこと」に不満な自分に気が付き我に返ります。そして限られた時間の中で「夕焼けがきれい」と思える瞬間自分を取り戻したような気持ちになります。いつもは、あれも欲しいこれも欲しいと尽きることはありませんが今の自分が十分に満たされている事を思い出した時心が軽くなります。「南方録」という千利休の茶道観を伝えた本があります。その中に「家は漏らぬほど、食事は飢えぬほどにて足る事也」という言葉があります。自分の置かれた環境で満たされていることに気付き、自分のスイッチをたまには切り替えて自分を取り戻すことがゆとりを持つ生き方につながると思います。切り替えのスイッチが見つからない方は是非お茶に触れてみていただきたいと思います。
自分の存在の素晴らしさや生きる活力が生まれてくると思います。
おそらく誰もがあわただしい毎日を過ごしていると思います。私も「いつも時間が足りない」と心の中で思いながら過ぎていく時間の中で生活しています。しかし自転車で走ってい居るときに何気なく空を見上げた時、夕焼けがきれいだったり空に渡り鳥の姿を見つけたりすると「足りないこと」に不満な自分に気が付き我に返ります。そして限られた時間の中で「夕焼けがきれい」と思える瞬間自分を取り戻したような気持ちになります。いつもは、あれも欲しいこれも欲しいと尽きることはありませんが今の自分が十分に満たされている事を思い出した時心が軽くなります。「南方録」という千利休の茶道観を伝えた本があります。その中に「家は漏らぬほど、食事は飢えぬほどにて足る事也」という言葉があります。自分の置かれた環境で満たされていることに気付き、自分のスイッチをたまには切り替えて自分を取り戻すことがゆとりを持つ生き方につながると思います。切り替えのスイッチが見つからない方は是非お茶に触れてみていただきたいと思います。
自分の存在の素晴らしさや生きる活力が生まれてくると思います。
posted by torianchado at 20:46| Comment(0)
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2013年09月06日
一粒万倍の日
裏千家11代家元玄々斎宗匠のお好み棗に「徳風棗」という棗があります。平棗で蓋の甲に「一粒万倍」と書いてあります。蓋の裏側には9個の金の籾が書かれています。徳風棗の「徳風」は論語にある「君子の徳は風なり」という言葉からきているようです。一粒万倍の日はもともと暦の中で「一粒万倍日」という日があります。この日に物事を始めるのは良い日とされていて、特に仕事、開店、種まき、お金を出すのに良いとされているそうです。増えるということですね。逆に借金をしたり、ものを借りたりするのは増えるのでよくないそうです。(ウェキペディアより参照)
今は科学の進歩であまり日取りなどは普段なじみの薄いものになってきましたが・・・
しかしどうでしょうか。いざ何かを始めたり、勝負の時には占いを見たり、大安、仏滅などを気にするのではないでしょうか?先日長野県佐久市に行ってきました。田んぼではたくさんの稲が風になびいて美しい風景でした。長野県には日本の原風景が多い気がします。また9月になったらもう一度行きたいと思います。
朝のテレビの占いでダメな日でも一粒万倍日に当たればとてもラッキーなことが起こるかもしれません。
けど、大切なことは他人の判断や決めたことで運命を惑わされないことですね。自分の道は自分しか歩けない道ですからね。
今は科学の進歩であまり日取りなどは普段なじみの薄いものになってきましたが・・・
しかしどうでしょうか。いざ何かを始めたり、勝負の時には占いを見たり、大安、仏滅などを気にするのではないでしょうか?先日長野県佐久市に行ってきました。田んぼではたくさんの稲が風になびいて美しい風景でした。長野県には日本の原風景が多い気がします。また9月になったらもう一度行きたいと思います。
朝のテレビの占いでダメな日でも一粒万倍日に当たればとてもラッキーなことが起こるかもしれません。
けど、大切なことは他人の判断や決めたことで運命を惑わされないことですね。自分の道は自分しか歩けない道ですからね。
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2013年06月14日
啐啄同時(そつたくどうじ)
啐啄同時(そつたくどうじ)と読みます。
中国の俗説からの話のようです。母鳥が卵を暖めて一定の時期がくると、卵の中では雛が育ち、やがて殻を薮って外へ出ようとします。その時、内部からコツコツと殻をつつくのを「啐」、母鳥が外からコツコツとつつくのを「啄」といいます。「啐」と「啄」が同時に行われ更に強さ、場所も呼吸もしっかりあっていないとなし得ないことのようです。
茶道の師弟関係でも同じことが言えます。師匠は、弟子の成長具合をよく見極めて、何かきっかけがあればもう一段階ステップアップできるところまで来ているのを見定めたら、すかさずそのタイミングを作ってあげないといけません。師匠がぼんやりしていてもいけないし、弟子も師匠からいつその機会を与えてもらっても良いように心を磨いてそれに備えていなければならないと思います。茶の湯の世界ではお茶事で客をもてなす亭主のまごころ、それをくみ取る客のまごころが「啐啄」を見事に表現しています。
「西部文淨著 禅語の味わい方参照」
私見ですが、稽古の時でも先生のところへ行ってお点前をして更に何かを得て帰るように心がけて稽古をするとよいと思います。先生が何気なく言った言葉や話の中から自分が「あっ!これは」と思うことを得て帰っていく。いい意味で常に「これでいいのか」「現状に満足してないだろうか」と考えながら人間として深みを増すというか成長していこうとする心構えが大切だと思います。この心構えは忙しい毎日の中で5分でもいいので自分と向き合う習慣をつけると少しずつ身についてくることです。
せっかく生きているのにじっとしているのはもったいないと思います。
中国の俗説からの話のようです。母鳥が卵を暖めて一定の時期がくると、卵の中では雛が育ち、やがて殻を薮って外へ出ようとします。その時、内部からコツコツと殻をつつくのを「啐」、母鳥が外からコツコツとつつくのを「啄」といいます。「啐」と「啄」が同時に行われ更に強さ、場所も呼吸もしっかりあっていないとなし得ないことのようです。
茶道の師弟関係でも同じことが言えます。師匠は、弟子の成長具合をよく見極めて、何かきっかけがあればもう一段階ステップアップできるところまで来ているのを見定めたら、すかさずそのタイミングを作ってあげないといけません。師匠がぼんやりしていてもいけないし、弟子も師匠からいつその機会を与えてもらっても良いように心を磨いてそれに備えていなければならないと思います。茶の湯の世界ではお茶事で客をもてなす亭主のまごころ、それをくみ取る客のまごころが「啐啄」を見事に表現しています。
「西部文淨著 禅語の味わい方参照」
私見ですが、稽古の時でも先生のところへ行ってお点前をして更に何かを得て帰るように心がけて稽古をするとよいと思います。先生が何気なく言った言葉や話の中から自分が「あっ!これは」と思うことを得て帰っていく。いい意味で常に「これでいいのか」「現状に満足してないだろうか」と考えながら人間として深みを増すというか成長していこうとする心構えが大切だと思います。この心構えは忙しい毎日の中で5分でもいいので自分と向き合う習慣をつけると少しずつ身についてくることです。
せっかく生きているのにじっとしているのはもったいないと思います。
タグ:禅語、都立大学茶道教室
posted by torianchado at 12:19| Comment(0)
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