今改めて読み返しているとこの最初の文章が身に染みてわかるようになった。
特に今の厳しい時代には人の心をいやしてくれる文章だと思う。
「山道を登りながらこう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。住みにくさが高じると安いところへ引っ越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟ったとき、詩が生まれて、画ができる。人の世を作ったのは神でもなければ鬼でもない。やはり向こう三軒両隣にちらちらするただの人である。ただの人がつくった人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。越すことのならぬ世が住みにくければ、住みにくいところをどれほどか寛げて、つかの間の命をつかの間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、画家という使命が下る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするがゆえに尊い。住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、ありがたい世界を目の当たりに写すのが詩である、画である」
もう一度読み返してみてはどうだろう
2012年12月05日
草枕
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2012年08月28日
モテる職業
歌舞伎の市川染五郎さんが奈落に転落したニュースに驚いた。歌舞伎役者もやはり身体が資本なので一日も早い回復を願うところだ。江戸時代の男性の職業で歌舞伎役者は女性に人気の職業だった。それは今も変わらない(^^)中には千両役者も居て年間の稼ぎが千両超える役者も居た。ただ、職業柄やはり派手な生活をする役者が多かったので、幕府から給料を制限する命令がたびたび出たらしい。特に倹約令などの法律が出た時には給料が半分になった役者もいた。女性に人気の職業トップ3のうちの1つに数えられていてとにかくモテる。ではその他のモテる職業はというと『相撲取り』『町火消し』だった。それぞれ人気には理由がある。まず相撲は歌舞伎と並んで江戸庶民の楽しんだ娯楽の一つで、驚いた事に観戦出来るのは男性のみで女性は許されていなかったようである。戦う姿は見られないけど優しくて力持ちな力士は人気があった。最後の町火消しはいまでいう消防隊員。むかしは火事が起こると水をかけるのではなく火の燃え移りそうな建物を壊した。今の消火栓から出る水圧の水は当時では無理な話で『龍吐水なるポンプ派存在したが、現代の子供の水鉄砲並の威力だったとか。火事と聞けば一目散に駆けつけ纏を振る。纏は火事の位置を正確に知らせるために重要な目印。そしてそれぞれの組頭は風の方向を読み火の移りそうな場所を的確に判断し燃え移る可能性のある場所を壊す。少しでも気を抜けば命の危険にさらされるそんな職業だ。町火消しは普段は別の職業を持っていてほとんど鳶職の者が火消についた。やはり屋根の上などに登り慣れているほうが良いのだ。喧嘩っ早い彼らが力士と喧嘩になり大騒ぎになった記録がある。江戸時代のドキュメンタリー(ゴシップ、うわさ話なども含まれるがかなり面白い内容)ともいえる『藤岡屋日記』には鳶が力士にケンカをふっかけ、力士が相手にせずに部屋に戻ると親方そいつは我慢ならねぇと仕返しに行き大乱闘になったと記録がある。そんなさばけた気質が当時の女性にはかっこよく見えただろう。まぁみんな職業には一生懸命だったろうが殊更多くの人の注目を浴びる職業が女性に人気なのは今もむかしも変わらない気がする。因みにこの町火消しはかの有名な大岡越前守忠相によって創設され、いろは47組に分けられて担当区域の消化活動を行った。今の消防署の組織は江戸時代の町火消しのシステムがそのままベースになってるとのこと。
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2012年06月23日
朱熹『偶成』
どなたでも、おそらくこの言葉の最初の文は知っているのではないだろうか?中国の儒者『朱熹』のこの漢詩。月日の流れるのは早く気がつけばこんなに時間が経ってしまっている。誰でもこのような事を感じた経験はあると思う。この限られた時間の中でより良い人生を歩み続けるために人は学び、成長している。何もしないのも一つの行動、ただ時間は止まらない。万物において春は生命の始まりであり、秋は生命の実りである。秋の実りをより良いものにするために夏の暑い時期に大いに寸分を惜しんで成長する。身体は栄養を摂れば大きくなるが、心の栄養は自分のワクワクする嬉しくなるような事を沢山する事だと思う。昨日青山の根津美術館へ初めて行った。久々に出かけたのでワクワクした。利休の造らせた長次郎の『無一物』の赤楽茶碗や『松屋肩衝』『白玉文琳』など名品の数々をしっかり観てきた。時間のある限りいつもワクワクしながらこころを磨いて美しい秋の照り葉を目指していきたい。
少年易老學難成
一寸光陰不可輕
未覺池塘春草夢
階前梧葉已秋聲
少年老い易く学成り難し
一寸の光陰軽んずべからず
未だ覚めず池塘春草(ちとうしゅんそう)の夢
階前の梧葉(ごよう)已(すで)に秋声
少年易老學難成
一寸光陰不可輕
未覺池塘春草夢
階前梧葉已秋聲
少年老い易く学成り難し
一寸の光陰軽んずべからず
未だ覚めず池塘春草(ちとうしゅんそう)の夢
階前の梧葉(ごよう)已(すで)に秋声
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2012年02月15日
漢字のルーツA
前回の続き
呉音、漢音、唐音以外にも日本に輸入されて独自に変化し使いならされた慣用音がある。
『慣用音』
例えば『立』は元々『リュウ』と読むが日本に輸入され『リツ』、『院』は『エン』が『イン』に変化した。
また、本来、音を示さない部分を発音を表すものと誤ったりした結果、慣用読みになってしまったものがある。
例えば『消耗』は本来『ショウコウ』と読むが『ショウモウ』と読み誤って一般化した
『訓読み』
漢字が輸入され、その後次第に漢字の持つ意味と日本古来の『ヤマトコトバ』が関連づけられ、慣用として認めらるようになった。
『国字』
元来中国語の文字である漢字を使って日本語を書きあらわそうとする場合、日本語にぴったり当てはまらない漢字もあった。日本人は中国の造字法に慣れてきて、それを真似て新しい字を作った。これが『国字』
『働、裃、樫』などがこれにあたる。
それ以外の特別な読み方。
『熟語訓』と『当て字訓』
『五月雨(さみだれ)』は旧暦の5月に降る雨のことで、あとから『五月雨』と漢字をあてたもの。
『土産(みやげ)』は旅をしたときに持ち帰る、その土地の名産品。
これらは、元々の漢字の意味とは無関係なもので『熟語訓』と呼ばれる。
『可哀相(かわいそう)、合羽(かっぱ)』なども漢字本来の意味と関係ない字の音や読み方だけで当てはめたもの。
これらは『当て字訓』
当て字のなかでも外来語音に漢字の持つ音をそのまま当てはめたものもある。
例えば『缶(かん)』は英語の『CAN』の音に漢字を当てはめたもの
煙草(タバコ→煙の草)などもそう。
こうして見ると漢字って深い

『慣用音』
例えば『立』は元々『リュウ』と読むが日本に輸入され『リツ』、『院』は『エン』が『イン』に変化した。
また、本来、音を示さない部分を発音を表すものと誤ったりした結果、慣用読みになってしまったものがある。
例えば『消耗』は本来『ショウコウ』と読むが『ショウモウ』と読み誤って一般化した

『訓読み』
漢字が輸入され、その後次第に漢字の持つ意味と日本古来の『ヤマトコトバ』が関連づけられ、慣用として認めらるようになった。
『国字』
元来中国語の文字である漢字を使って日本語を書きあらわそうとする場合、日本語にぴったり当てはまらない漢字もあった。日本人は中国の造字法に慣れてきて、それを真似て新しい字を作った。これが『国字』
『働、裃、樫』などがこれにあたる。
それ以外の特別な読み方。
『熟語訓』と『当て字訓』
『五月雨(さみだれ)』は旧暦の5月に降る雨のことで、あとから『五月雨』と漢字をあてたもの。
『土産(みやげ)』は旅をしたときに持ち帰る、その土地の名産品。
これらは、元々の漢字の意味とは無関係なもので『熟語訓』と呼ばれる。
『可哀相(かわいそう)、合羽(かっぱ)』なども漢字本来の意味と関係ない字の音や読み方だけで当てはめたもの。
これらは『当て字訓』
当て字のなかでも外来語音に漢字の持つ音をそのまま当てはめたものもある。
例えば『缶(かん)』は英語の『CAN』の音に漢字を当てはめたもの

煙草(タバコ→煙の草)などもそう。
こうして見ると漢字って深い

posted by torianchado at 14:10| Comment(0)
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2012年02月13日
漢字のルーツ
知らない事が多すぎて恥ずかしいのだけど、漢字について初めて知った事がある
まずは『音読み』と『訓読み』とは、と聞かれてすぐに答えられる人もそう多くはないと思う。
音読みとは、中国から伝えられた当時の中国人の発音をまねて、日本人が読んだ発音
訓読みとは、漢字が日本に伝えられる以前から使っていた
大和言葉を同じ意味の漢字に当てはめた、漢字を日本語訳した読み方
次に中国から伝えられた時代によって音が異なる読み方。
例えば『行脚(あんぎゃ)、脚本(きゃくほん)、脚気(かっけ)』と同じ『脚』という字も読み方がまるで違う。
それぞれ『呉音』、『漢音』、『唐音』という区別がある。
『呉音』は四世紀末〜六世紀にかけて揚子江下流地域の中国音を伝えたもの。
『漢音』は奈良時代から平安時代初期にかけて、遣唐使や留学生、留学僧らによって伝えられた、隋から唐代にかけての発音。都長安が会った黄河流域付近の音。江戸末〜明治にかけて西洋の諸国語を翻訳する際に漢音が使われた。我々に一番馴染みのある読み方。
『唐音』は平安時代中〜鎌倉、室町時代をへて江戸時代にかけて禅僧や商人などが日本〜中国を往来し、そのときに伝えられた宋、元、明清などの発音。
こうした事情で現代我々が使っている日本語の読みが形成されてきた。
調べてみるって本当に楽しい

音読みとは、中国から伝えられた当時の中国人の発音をまねて、日本人が読んだ発音

訓読みとは、漢字が日本に伝えられる以前から使っていた
大和言葉を同じ意味の漢字に当てはめた、漢字を日本語訳した読み方

次に中国から伝えられた時代によって音が異なる読み方。
例えば『行脚(あんぎゃ)、脚本(きゃくほん)、脚気(かっけ)』と同じ『脚』という字も読み方がまるで違う。
それぞれ『呉音』、『漢音』、『唐音』という区別がある。
『呉音』は四世紀末〜六世紀にかけて揚子江下流地域の中国音を伝えたもの。
『漢音』は奈良時代から平安時代初期にかけて、遣唐使や留学生、留学僧らによって伝えられた、隋から唐代にかけての発音。都長安が会った黄河流域付近の音。江戸末〜明治にかけて西洋の諸国語を翻訳する際に漢音が使われた。我々に一番馴染みのある読み方。
『唐音』は平安時代中〜鎌倉、室町時代をへて江戸時代にかけて禅僧や商人などが日本〜中国を往来し、そのときに伝えられた宋、元、明清などの発音。
こうした事情で現代我々が使っている日本語の読みが形成されてきた。
調べてみるって本当に楽しい

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