人買いにだまされて連れ去られた子供を尋ねてはるか東国の隅田川にたどり着けん刄、なんと息子の一周忌。息子の塚の前で鉦鼓(雅楽で使われる打楽器)をならし念仏を唱える母の前に愛児が立ち現われるのだが、それははかない幻影で、白々と夜が明けてみると、それは塚の上に這う春草であった。
京都の北白川に住む女が、一人息子を人さらいに連れ去られ、隅田川の渡し場まで探し求めてたどり着いた。川に着き渡守に船に乗せてくれと頼み船に乗ると向こう岸の柳の下に人が集まっているのが見えた。
渡守が「さても去年の三月十五日、しかも今日に当たる」と語りだす。年の程十二、三ばかりの男の子。人商人が都から買い取って奥州へ下る途中、子供は病気になって一歩も歩けないと、この隅田川岸辺で倒れた。人商人は無情にも子供を打ち捨てた。土地の人の介抱もむなしく「わたしは都の北白川の吉田のなにがしの広り息子。死んだら塚を築いて埋め、墓のしるしに柳を植えてください」といって息を引き取った。
女はここで自分の息子だと気づく。母親が塚の前で夜念仏をしていると塚の中から「南無阿弥陀仏」と子供の声がし塚の中から息子の「梅若丸」姿をあらわす。しかし抱きしめようとする母の手元からするりと抜けて塚の中へ入ってしまう。「能百番を歩く 京都新聞社編 参照」
というハッピーエンドでは亡終わり方をする曲です。
春ののどかさと母子の再開ができぬままの姿が対照的で涙を誘います
