2013年04月01日

隅田川

春の曲で有名でご存じ東京の隅田川を舞台にした曲です。

人買いにだまされて連れ去られた子供を尋ねてはるか東国の隅田川にたどり着けん刄、なんと息子の一周忌。息子の塚の前で鉦鼓(雅楽で使われる打楽器)をならし念仏を唱える母の前に愛児が立ち現われるのだが、それははかない幻影で、白々と夜が明けてみると、それは塚の上に這う春草であった。

京都の北白川に住む女が、一人息子を人さらいに連れ去られ、隅田川の渡し場まで探し求めてたどり着いた。川に着き渡守に船に乗せてくれと頼み船に乗ると向こう岸の柳の下に人が集まっているのが見えた。
渡守が「さても去年の三月十五日、しかも今日に当たる」と語りだす。年の程十二、三ばかりの男の子。人商人が都から買い取って奥州へ下る途中、子供は病気になって一歩も歩けないと、この隅田川岸辺で倒れた。人商人は無情にも子供を打ち捨てた。土地の人の介抱もむなしく「わたしは都の北白川の吉田のなにがしの広り息子。死んだら塚を築いて埋め、墓のしるしに柳を植えてください」といって息を引き取った。
女はここで自分の息子だと気づく。母親が塚の前で夜念仏をしていると塚の中から「南無阿弥陀仏」と子供の声がし塚の中から息子の「梅若丸」姿をあらわす。しかし抱きしめようとする母の手元からするりと抜けて塚の中へ入ってしまう。「能百番を歩く  京都新聞社編 参照」
というハッピーエンドでは亡終わり方をする曲です。

春ののどかさと母子の再開ができぬままの姿が対照的で涙を誘いますもうやだ〜(悲しい顔)
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2013年01月22日

箙(えびら)

今月の14日、東京は10年ぶりの大雪だったそうです。茶庭も少し被害がありましたが一番大きな梅の木は何の被害もなくたくさんの蕾をつけています。「箙(えびら)」の曲は梅とかかわりの深い一曲です。

あらすじ
旅の僧が京の都へ向かう途中摂津国生田川のほとりへ来て、そこにある折から今を盛りの梅の一木を眺めていると、若い里の男が来合わせる。僧が梅の一木について、この梅は名木かと尋ねると「箙の梅」だと答える。さらに尋ねると、ここ生田の森は源平合戦一の谷の合戦の跡で源氏側の若武者「梶原源太景季」がこの一木の梅の枝を手折って箙に挿し、華々しい軍功を上げたので、このように名付けたものだと教え、当時の一の谷の合戦の様子を語って聞かせ、最後に自分は「景季」の霊だと名乗って消え失せる。
後半部分では僧が夜梅の木に臥していると若武者の姿をした「源太景季」が、箙に梅花一枝を挿して現れ、修羅道の苦しみを語り(戦に生きて死んだ者は地獄でも止むことのない戦の中に入れられるという)僧に回向を頼む。その後戦の状景を再現し夜明けとともに姿を消し、僧の夢も覚める。

能の修羅物の中でも数少ない勝修羅(勝ち戦の主人公が題材になってるもの)の曲です。真冬の寒い中で花を咲かす梅と若武者の力強さ、咲けば散る花の潔さと死してなお修羅道に落ちる人間の苦悩をあらわしている味わい深い曲です。
タグ:箙の梅
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2012年10月12日

野宮(ののみや)

秋の京都は紅葉や寺社のの美しさを思い出す。日本の中で京都ほど四季によって装いを変える街はない。
特に右京区の嵐山は昔からもみじ桜の名所として知られていて、藤原定家の選んだといわれる「小倉百人一首」も嵐山にある小倉山荘で編纂されたものだといわれる。
謡曲「野宮」は秋の嵐山にある野宮神社を舞台にした源氏物語を出典としている名曲だ。

あらすじは
旅の僧が京都洛中の名所旧跡を拝みまわった後、秋の末に嵯峨野の野宮を訪れあたりの景色を眺めていると一人の美しい女が現れ、今日は毎年昔をしのび御神事を行う日だから早く立ち去りなさいという。僧はその神事のいわれをたずねると、女は昔六条御息所がここに移り住まれたのを光源氏がたずねられたの日がちょうど今日にあたる事など詳しく語り、自分がその御息所であることを告げて姿を消す。その夜僧がねんごろに跡を弔っていると、車の音が近づくと見えて、御息所の霊が昔の姿で美しい車に乗って現れ、在りし日加茂の祭りに葵上と車争いをして奥に押しやられ辱められたが、思えば前世の罪の報い故その妄執を晴らしてくださいと頼み、舞を舞い、唯夢の世となり行く跡を惜しんでいたが、やがて再び車に乗って立ち去っていく
(金剛流謡本より参照)

嵐山に行くと渡月橋を渡った奥のほうに黒木の鳥居がある野々宮神社がある。時間が止まったような自然の流れの中に自身が存在することに気づくことだろう。
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2012年09月10日

砧(きぬた)

秋をだんだん感じるようになって来た。朝夕の風も涼しく秋の扇ではなく秋の冷房も必要なくなって来た。いま偶然、世田谷区の砧公園に居るがこちらの砧は謡曲の『砧』とは関係ないようだ。こちらはゴルフ場、その前は皇紀2600年(昭和15年)の時分に防火緑地として整備された場所だ。むかしは鄙びた山里だったとか『砧』の舞台になったところだとかいう情報は無かった。話が逸れたが謡曲の『砧』はそんな陽気な曲ではない。

福岡県芦屋の男性が用事で京都へ行ったまま3年帰ってこない。残された妻が猜疑心と嫉妬を募らせる。更に都からの伝言で今年の暮れには帰ると言っていた夫からやはり帰れないとの伝言が届くと狂い衰え死んでしまう。夫は妻の死をきき、急ぎ芦屋へとかえる。そして、せめてもの慰めにと呪法を使い妻の霊を招き寄せる。地獄に落ちた妻は成仏できずに地獄の獄卒共に責め立てられる。夫は必死に祈り合掌し妻の亡霊は法華経の功徳に導かれ成仏する。という話。

秋の夜ものさみしい山里で砧のおとが響く。これから草木も枯れていく秋の風情を感じさせる名曲。

『能百番を歩く 京都新聞社編 参照』
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2012年06月19日

兼平(かねひら)

7月14日に国立能楽堂で師匠の種田道一先生がこの曲を演じられる。あまり上演されることのない曲だと聞いている。曲は平家物語の『木曽の最期』を取材にしている。平家一門を京の都から追い払った朝日将軍こと木曾義仲四天王の一人『今井四郎兼平』が主人公の修羅物。

木曽から来た旅の僧が木曾義仲の跡を弔うために近江の国、矢橋の浦までく来ると、柴舟にのった老人が来たので頼んで乗せてもらう。琵琶湖の名所をたずねながら舟は粟津が原に到着。この場所は木曾義仲が最期の跡。夜は更け僧が念仏を唱えていると甲冑姿の今井四郎兼平が現れ先ほどの老人は自分であると告げ今度は自分を御法の舟で彼岸へ渡して欲しいと頼む。木曾義仲や自分が討ち死した様子を物語るところではなしは終わる。

上手く時間が合えば是非観に行きたい。
posted by torianchado at 15:53| Comment(0) | 能楽雑事