2012年04月27日

杜若(かきつばた)

もうすぐ端午の節句晴れ前回の子供茶道教室の時に兜を出して飾った。今週はかしわ餅、ちまきなどが店頭には並んでいる。この時期に先生の所へ稽古へ行くと名古屋の名店「美濃忠」の「初がつお」のお菓子が稽古で使われる。これが出てくると風炉の時期が来たなという実感が出てくる。また京都の「末富」のお菓子に「杜若」がある。これは、ういろうをむらさき色と白の二色につくり餡を包んであるのだが花の形にうまく折ってあり杜若の花にも唐衣の形にも見える。唐衣は平安時代の宮人たちが来ていた衣裳。このお菓子の形や色のデザインのもとになったのは謡曲「杜若(かきつばた)」。

名鉄電車三河八橋駅からほど近いところにこの話のもとになった平安時代の文学「伊勢物語」の九段落にある在原業平の東下りに出てくる「かきつばたの池」がある。当時、都で禁断の恋が明るみに出てしまい都を離れていく在原業平。旅の途中でこの地で休息を入れた時に「か・き・つ・ば・た」の五文字を歌の頭句にして旅の心を詠んだのが有名な「らころも つつなれにし ましあれば るばるきぬる びをしぞおもふ」妻を京都に残しお伴数人とともに左遷されていく寂しさ。花を見て思わず落涙したであろう。

時は移り、全国の名所を訪ねて歩いている旅の僧が「八橋」の地を訪れると里の女が八橋でかつて在原業平が歌を詠んだことをなどを語り聞かせる。彼女は八橋に咲く「杜若」の花の精。懐かしい業平の思い出を語ったあと、自分の庵へ僧を招き入れる。そして後半部分で二条后高子の唐衣を身に着け、頭には業平がつけた冠を載せ優雅に舞を舞う。業平の思いを杜若の花がくみ取り、高子の衣裳と業平の冠を花の精が身に着けることで二人の思いが杜若の精の中で一つになり成就するような印象を受ける。杜若も平安時代随一のプレイボーイの業平に恋をしてしまったのであろう。花の身なれば叶わぬ思い。そして業平も叶わぬ思いを秘めてこの地に来て歌を詠む。業平は歌舞の菩薩の化身で、彼に詠われた杜若の花までもが草木でありながら成仏してしまう。それぞれの思いが成就して、夜が明けるころ花の精も失せていく。

一度訪ねてみたいと思っている場所である。
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2012年03月05日

西王母

中国紀元前900年代の周王朝五代目穆王の時代に百官卿相の家臣たちが帝王の治世を褒めたたえて集まっているところに侍女を伴なった美しい女性が現れ三千年に一度花咲き実を結ぶ桃花を献じる。この女性こそ『西王母』の化身である。曲の後半、天から降り立ち桃の実を献上し帝王のために美しい舞を舞って祝福し、春風に乗じて雲上に去る鳥とともに天上に帰っていくという世阿弥の作品。
平和な世の中とそれを治めた帝王の徳を褒めたたえた優雅な曲である。有名な美しい表現が多数引用されているので2つほど紹介してみたい。

『桃李もの言わず下おのづから蹊(みち)をなし』
この表現は、司馬遷の史記に出てくる『李広将軍』を褒めて用いられた。この将軍大変勇敢で人望も厚かったので人々が、桃や李(すもも)は自然に美しい花を咲かせ良い香りを放つ。だから何も言わなくても自然に人が集まり木のしたには自然に蹊{みち)が出来るものだ。優れた将軍のもとにも同じように自然に人が集まってくると言っている。

もうひとつは和歌『三千歳(みちとせ)になるといふ桃のことしより 花さく春にあひそめにけり』
三千年に一度花咲き実をつける西王母の桃が今年初めて花を咲かせるとめでたさを詠った和歌。

美しい表現は人の心を和ませて幸せな気持ちにさせてくれる。現実とはかけ離れた世界かも知れないが、日常生活の中で少しでも現実離れした時間を持ち本来持っている自分らしさや忘れがちな優しさを取り戻すのも悪くない。花咲く春、花の美しさに心和ませる。そんな気持ちで自分を少し慎み、奢らぬようにすれば、周りにいる人も幸せに感じるものだと思う。
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2012年02月29日

鉢の木

「いざ鎌倉へ!」という言葉がある。一大事があった時には真っ先に駆けつけるという頼もしい響き。謡曲「鉢の木」に由来する有名な言葉である。

あらすじ

師なのから鎌倉に向かう漂泊行脚の僧。深い雪にあって、佐野のあたりで、ひとまず民家で宿を頼む。応対の女がいうには「おやすいことです。でも、いま主人が留守をしております」と、そこへ主人の常世が帰ってくる。常世は夫婦二人さえ住みかねた家を恥じて一度は断る。が大雪の中を行く僧の姿に、後を追って、粟飯でもてなす。僧は、姿を変えた最明寺入道北条時頼であった。
鎌倉幕府の五代目執権となり執権の基礎を確立し息子時宗に家督を譲り出家し最明寺入道と名乗った。夜が更け寒さが一層ひどくなり、焚き火の薪もなくなった。主人の常世は秘蔵の「梅桜松の盆栽」を切って焚き暖を勧める。かつて武士で裕福な暮らしをしていたが人にだまされこのような落ちぶれた生活をしているが、鎌倉に一大事があれば真っ先にはせ参じることを語る。最明寺入道時頼は常世の言葉の真偽をたしかめようと、諸国の軍勢に非常招集をかける。常世がやせ馬に乗ってはせ参じてきたので時頼は、その忠節を褒め、領地を常世に安堵する書状と盆栽の「梅、桜、松の盆栽」にちなんで加賀の梅田、越中の桜井、上野の松井田の三か所を領地として新たに与えたという話。

今の家の庭を作るときにどうしても「梅、桜、松」を入れて作りたかった。庭師の大澤君に無理を言って梅はメインのつくばいの隣に、桜は裏のスペースに植えられた。松は玄関松にしたかったので玄関前に植えてもらった。残念ながら松だけは環境に合わなかったのか枯れてしまい今はツワブキが元気に育っている。
松の木は手入れも大変で害虫駆除、剪定など非常に手間のかかる贅沢な木だそうな。
また、少し余裕が出来たら庭にと考えているがいつのことやらふらふら
posted by torianchado at 17:24| Comment(0) | 能楽雑事